管理職で難儀するのは、コミュニケーションなのではないか、と考えてます。
相手が上司であれ部下であれ、自分が課長であれ部長であれ。
どんな役職にあっても同僚は=どの役職においても”同僚”ですから、年齢や役職によってある程度接し方などは変わってくるかもしれませんが、スタンスは同じだと思います。
翻って上司や部下は自分と立場が違うので、自分と同じ目線で接するのも違うというか嚙み合わない事もあると思いますから、そこを何とかコミュニケーションを円滑にしようと頑張るものの中々上手くいかないという感じでしょうか。
ひと昔前なら、上司相手に全力で良かったかもしれませんが、現在ではコンプライアンスという遵守すべきルールが絶対的にあるせいか、部下に対しても配慮しなければいけない。
しかし部下相手の方が、客観的に見れば自分(上司)の方が地位的優位という目で見れられる分何かコミュニケーションエラーが発生した時に、コンプライアンスというかハラスメントなど自身の方が不利になる可能性が高い訳です。
だから、上も下にも配慮し続ける結果となり、神経疲れ果ててしまうのでしょう。
□今回のポイント
私は良いと思ったものは何でも真似たり取り入れたりするのですが、今年ドラマ版の再放送が地上波や専門チャンネルで連続して放送されていたのですっかりどれも全部見つつ原作のコミックも何なら最新刊まで2週くらい見ました。
「ミステリと言う勿れ」
なんかこう、色々刺さる作品なんですよね。読む度観る度に考えさせられます。
そういえばあるエピソードで、主人公の久能整さんが定年直後の老齢男性に話すシーンが印象的でした。
その人は現役時代は大手会社の重役(取締役かな)にまで上り詰めた人で、過去に何かしらの要因で叱責した部下が自殺してしまった過去がありました。
また定年直後に長年連れ添った配偶者が、子供連れて家を出て行ってしまったと。
それに対しての彼の反応は『俺のせいか?』『(部下も妻も)言わなきゃわからないじゃないか!』と、察するに”自分は悪くない”という感じでした。
すると、整さんは自身は学生でわからないけども、と前置きしつつ『そういう相手の気持ちとかを察する能力とかって仕事では使わないんですか?』と尋ねます。
するとその男性は『仕事は別だ。上司や顧客など相手の気持ちを察してコミュニケーションを取る(だから出世できたんだ、と)』というものです。
すると、整さんはこう返します。
『ならそのスキル持ってるんじゃないですか』
男性は意表突かれた感じで声が詰まり、さらに整さんは『その持ってるスキルをなんで部下の方やご家族に使わなかったんですか?』と続けます。
男性は何も言えずに黙ってしまいました。
私も必死になって駆け抜けていたもので、上司相手や同僚相手や部下相手や顧客相手などその都度のコミュニケーションに惑う時がよくあります。
これは何とも言えないですが、そもそも持ち合わせていないスキルをいざという時に使うのはさすがに無理だと思いますから、コミュニケーション能力の中で何か持っていないスキルを使おうとすれば、それはやはり上手くいかないでしょう。
ただ、たまにふと思うのですが、「(家族友人相手に)取るコミュニケーションを何で上司や顧客などにできないもんだろうか」と思う事があります。
もちろんフランクというか無礼という事ではなく、相手と友好的にコミュニケーションを取ろうとする時、やはり過剰にかしこまったりするとむしろ言葉が出てこないものですから、思い切って話しかけてみる(自分の趣味とか、相手の趣味を聞くとか)と、意外にも道を開いてくれる事もありました。
上司や部下など、何であれコミュニケーションに難儀する時、もしそれ以外の他の人とはコミュニケーションに困る事が無く円滑にできるのであれば、相手の立場などは考慮しつつも上手くできるコミュニケーションの取り方をやってみるのも良いのではないか、と思う次第です。
ただ前提は、目の前のそれに一生懸命に取り組んでいる・考えているからの葛藤だと思いますから、決して自分がダメとか卑下し過ぎず何だってトライ&エラーで進んで行けば良いと思います。
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