管理者は結果を共有できれば良い

最近はとりわけコンプライアンスの温度感が高まり、昭和や平成初期にあったような一方的に上司が部下に命令を、という感じの指示・命令は難しくなったように思います。

難しい理由は上述のコンプライアンスに関係しており、いわゆる「ハラスメント」に抵触しないか、という不安というかがあるせいか、発言一つとってもシビアです。

ただ本来上司と部下も人と人とのコミュニケーションですから、そういう相手に対する配慮は必要な事ですから指示するにしてもしっかりと意図や目的などは伝える必要はあります。

反面、そういった配慮が強すぎたり、またコミュニケーションエラーが怖くて、結果的に部下に対して正しく指示・命令ができない管理者も多く見かけました。

何か施策を実行したり、実行する事を指示・命令するにしても、中には反対意見が出たり場合によっては反発を受ける事もあります。

その為、管理者の素養というか求められるスキル・マインドとして、このようにどれだけ部下に対して指示・命令を潔く堂々と出来るか、も重要なポイントだと思ってます。

「いいからやれ」とか「黙ってやれ」など、ろくに説明もせず一方的に命令しろ、という事ではもちろんなく、しっかりと意図や目的などを事前に説明する事は必須です。

この場合、念頭に置くべきは情報量や背景などが、管理者である自分と部下達とは異なる、という点を自分でしっかり認識しておきましょう。

部下と違い、管理者たる自身はその施策などを自身で企画立案しようが、上長からの指示だろうが、それを実行する目的を理解しているはずです。全部が全部ではないとはいえ、その目的や背景の前提は売上や利益を伸ばす目的であったり、企業が経営を続ける上で必要な事であるはずです。

一般社員であったり、自身の配下にいる階層はそういった情報や背景をまだ把握していない事の方が多いはずですから、何故これをやらなければいけないのか、という目的がわかりません。

何故なら彼ら彼女らの目的は、日々の業務を確実に遂行し完遂させる事だからです。

そういうギャップの中での指示・命令は、時に部下から批判される事もあるでしょう。
ただそれは正直そこまで重たく捉える必要は無い、というのが私の結論です。

その結果が、全員にメリットある結果になれば良いからです。

□今回のポイント



古代中国に「西門豹(せいもんひょう)※生没年不詳」という人物がいました。
中国の戦国時代(一般的には紀元前476年~紀元前221年)初期の魏という国の政治家です。日本でも有名な三国志の時代から見て、おおよそですが600年ほど昔の人物です。

彼は「鄴(ぎょう)」という都市を大きく発展させた事で有名な人物です。

当時の魏は国として認めてもらうにはあまりにも小さく、それは領土だけでなく生産力も極めて低い状況たったと言われています。

そこで西門豹は、当時の魏の国主である文侯から鄴の令(知事みたいな感じ)に任命され、枯れ果てていたこの都市を発展させるべく尽力します。

様々な問題をクリアし、いよいよ農地を整備するために、有名な黄河などから農地用の水源を引き込むといった大規模工事を実行します(これを灌漑※かんがい と言います)。

しかし、それはかなりの重労働になりますし、当時は現代のような重機などありませんから、原則すべて人の手で行う必要があり、それは鄴の人々が中心になって遂行されました。

そのため、鄴の民衆は、

「今のままでも暮らしていけるのに・・・、なんでこんな面倒な事しなきゃいけないんだ!」

と不平不満が続出するんですね。

それは役人を通して西門豹の耳にも届くのですが、そこで彼はこう言った伝わってます。

「(不平不満は知っているが)民とは結果を共有できるが、始まりは共有できない。この事業の意義を彼らにわからせる必要はない。100年後に彼らの子や子孫が発展した鄴を見て私の言葉に思い当ってくれればそれで良い」

と言って工事を遂行させ続けたと言います。

結果的にですが鄴は大きく発展します。

戦国時代の後半は栄枯盛衰繰り返す中で、7か国に絞られる(戦国七雄)のですが、魏はその一角として生き残りますし、鄴はその後も古代中国にあって大都市として栄え続けます。

全く何も説明せず一方的に指示・命令はよろしくないですが、それでも説明したから何でも納得してくれる人達ばかりではないでしょう。

それでも目的や意義を自身が信じて疑わないのであれば、実行し続ける勇気は必要ですね。


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